スウェーデンの社会福祉の表と裏 

「凋落した福祉国家スウェーデンの惨状」       「新潮45」6月号より

ー 文字通り「ゆりかごから墓場までの社会福祉」を誇っていたスウェーデン。だが、経済不況でそのシステムが揺らぎだした 一

高率の税金を取られるが、医療や老後などの社会福祉は万全で、世界の模範とされたスウェーデンであるが、実は、現実はかなりひどい状態になってるという。そしてその惨状をもたらした主因が、不況による税収減少に伴って採られた「エーデル改革」という財政改革で、その中身は、費用の効率化を目指した「民営化」だと言う。

福祉事業とは元来が採算不能事業であり、税金と公権力でやらねばできないものである。それを財政が苦しいから民営にしたらどうなるかは自明だろう。何でも「効率化=民営化」と短絡してはならない。まさに小泉語録の「民でできるものは民、官でしかできないものは官」である。尤も、私は「道路と郵便は官、郵貯と簡保は民」と思うけど・・・・・。(No.942)(雑記帳評より。)

「凋落した福祉国家スウェーデンの惨状」   澤野 正美 執筆  「新潮45」 2005年6月号記載

 私はスウェーデンに長期滞在し、高齢者福祉についてホームページ「ストックホルムのホームページ」を公開しています。1990年代の初期から高齢者福祉について興味を持ち、スウェーデンにおいて痴呆症や介護について学んできました。日本国内でも、アルツハイマー型痴呆症の介護について講演などをしています。したがって、一般の日本の方よりスウェーデンの福祉の現場は知っているつもりです。そうした私から見ると、日本ではスウェーデンの実態が必ずしも正しく伝わっているとは思えないのです。

 寝たきり老人はいない?

 スウェーデンの高齢者福祉については、国内でも多くの書物が発刊され、神秘化されている部分も多くあります。例えばある書物では、「スウェーデンには、寝たきり老人はいない」などと記載されています。そのため、私自身が、スウェーデンの高齢者施設を訪問する多くの日本の人達から「寝たきり老人がいないとは、素晴らしい福祉ですね。本当にそうなんですよね」と質問を受けます。「スウェーデンにも、寝たきり老人はいます」と説明しますと、「そんな事はない、書物に寝たきり老人はいないと書いてある」と、言われることが多いのです。

 実際には、高齢者の人たちが人生の終末を迎えるにあたり、寝たきりになるのは考えてみれば当たりまえのことです。恐らく著者が訪問した、その施設には、たまたま寝たきり老人がいなかったのでしょう。それをスウェーデン全国のどの施設にも寝たきり老人がいないと結論づけるのは些か無理があるともいえます。

 ここで、スウェーデンの高社会福祉の現状が、どのようになっているのかを紹介してみましょう。

 スウェーデンの社会福祉は、「ゆりかごから墓場までの社会福祉」とまで言われていました。確かに経済的に豊かな1970年代から1990年代の初期までは、日本では真似することが出来ないほどに進んだシステムを持ち、設備の整った高齢者施設や身体障害者施設、さらにいろいろな障害を持つ者に対応した各種の社会構造設備が整備されたのは事実です。経済不況の今日では、とても投資する事は出来ないほどの素晴らしい高齢者福祉が実施された結果でした。

 最近になり日本国内でも叫ばれています、バリアフリーについても、スウェーデンは先んじていました。例えば、1975年に建設されたストックホルムの地下鉄路線には、建設当時から、エスカレーターとエレベーターは、全ての駅に設備されました。さらに、子供の乳母車を、子供を乗せたままで、短い階段を利用して移動できるように、車の幅に合わせたスレーターなどがあります。このように日常生活のいたるところに、障害者や弱者への対策を見ることができ、長く取り組んできた歴史を持っていることが窺われます。

 また、痴呆症の老人たちのみが入居できる、グループホーム≠ネども各地に建設されています。介護の研究も進み、同時に電動リフト等の介護補助器具を活用することによって、介護職員の労働負担を軽減させるシステムなども開発されています。

 数年前までは、高齢者一人当たりを介護する職員数も多く、入居者一人に対し、職員は1・8から2・0の割合でした。介護にもゆとりがあり、老人の生活テンポに合わせた介護がなされるなど、職員もゆったりとした介護をしていました。

 日本国内で見られるような、職員の勤務の都合に合わせた介護体制とは異なり、たとえば食事も本人が希望する時間に、本人の部屋や食堂などで、ゆったりと時間をかけて食事ができる体制になっていました。

 国民は、「高齢になれば全て国が面倒をみてくれる。子供たちの世話になる必要はない」。さらに「高齢者と子供は国が面倒みるから、男女共に働いて、税金をおさめよう」と教育されました。子供たちは成人になると共に、早くから家を出て、実家から遠く離れた地域に就職したり、結婚して他に家庭を持ったりなどします。そのため、実際に実家に住む自分の両親の面倒を見ることは困難になり、そうしたことに割ける時間も少なく、不可能に近い状況です。

 民営化によって何が変わったか

 ところが、高社会福祉の国とまで言われたスウェーデンも、世界的な経済不況の影響を大きく受けてきました。税収の減少に加え、EUへの莫大な加盟金の上納が重なり、歳出の節約を余儀なくされました。

 そこで、スウェーデンは、専門家達が10年近くの年数をかけて研究、1992年にエーデル改革≠ニ言われるものを実施します。これは簡単に説明すれば、経費が増加する医療問題や障害者対策の改革案とも言えるるものです。制定後、全国のコミューン(自治体)は我先にと施設や介護の民営化を推進し、歳出の節約に努めだしたのです。

 民営化により、コミューンから高齢者介護などを引き継いだ福祉企業は、なんらかの利益を求めるようになりました。民営化にあたっては、国によって定められた介護規定に関する基準を守る事が契約の条件となっています。したがって、介護内容を経費節約のために変更することは出来ません。その結果、経費節約は人員整理しかありません。毎年数人づつ各施設の人員整理を実施せざるを得なくなりました。

 人員整理を進めたあげく、職員不足となり、職員一人当たりの担当入居者数が多くなりました。当然一人の老人に対応する時間も短縮され、十分な介護が出来なったのです。以前は天気の良い日には職員が押してくれる車椅子を利用して、近くの公園を散歩したり、時には買い物などにも職員が同行し、自分が以前住み慣れた場所を眺めたりする事もできました。

 外出が出来ることによる効果は、老人の気分転換のみではありません。介護職員と会話することによって、職員と入居者との友人関係に近い仲間意識ができます。必然的に両者の間には信頼関係ができますから、介護をしてくれる職員に対する意地悪や、暴力、抵抗などもなくなり、入居者とのトラブルが減ることになり、職員の負担は少なくなります。老人たちの健康保持はもちろんのこと、昔の知人や隣人に会う事が出来るために、社会的交流を保ち、施設に住みながらも社会から孤立することはなく、精神的にも良い効果が得られます。

 しかし、人員整理によって職員の担当者数が増加、介護時間が短縮となり、入居者の希望を受け入れて対応する時間は少なくなりました。今まで日課であった職員と老人たちとの散歩や買い物は少なくなり、現在では施設によっては、1週間に1回どころか、1ヶ月に1度も外出したことのない老人が増加しています。ひどいケースですと、20人の入居者にたった1人の職人で対応していたという事例もありました。また、介護職員が入居者に暴力をふるうような事件も起こりました。

 多くの施設では、散歩による運動はなくなり、老人たちの顔は青白くなり、元気のない顔が見られるこのごろです。当然運動不足となり、足腰が弱くなります。

 介護は十分に時間をかける事ができないめ、必要な処置も後回しにされます。床ずれをした入居者の介護もままならず、職員のストレスはたまるのみで、介護に関するミスが多くなりました。当然のことながら、家族からの苦情も増加し、糞尿の処理もされないままのことがあるかと思えば、時には老人が鳴らすアラームに対する処置が悪く、死亡した例もあるほどです。

 またあるサービスハウス(24時間管理の一戸建ての老人ハウス)では、数日間、入居している老人から職員に何らの連絡がないのにもかかわらず、職員の誰もそれを気にしませんでした。実は老人はベッドから落ちたままであって、怪我による出血と水分不足から、一人床の上で死亡した例もあります。驚くべきことですが、それが現実のスウェーデン高齢者福祉の一面でもあります。

 施設によっては、あまりに多くの問題が発生したり、家族からの苦情が多くなった事などから、民営化営業の許可を取り消された企業も少なくありません。

 また、コミューンも民営化契約を破棄し、コミューンが以前のように施設の営業を開始したところもあります。しかし、税収の減少によって経費節約をしなければならないことには変りありません。結果的には民営企業と同じ問題を抱えて、介護事故も発生し対策も改善もなされないまま運営されている地域もあるのが現状です。

 経済不況の影響は

 民営化にならずとも、政府は、子供の学校教育と、高齢者および身体障害者の経費を節減しようと必至になっています。

 例えば、コミューンが運営するサービスハウスで、職員の24時間勤務を必要としようとすれば、当然人件費など経営費が高くなります。つまり常勤職員をなくせば、経費は大幅に節約できます。そのためには入居基準を厳しくし、サービスハウスヘの入居者数を減らす事が必要であると判断したのです。極端な話、誰もサービスハウスに入居させなければ、サービスハウスを廃止する事ができて経費はゼロになるわけです。

 数年前には当然入居できた老人たちも、新しく規定された入居基準に達しないと判定され、サービスハウスには入居できなくなりました。在宅のままホームヘルパーの家庭訪問による介護が受けられるのみとなりました。

 その結果、サービスハウスは、昨年末で少なくとも300部屋が空くことになりました。政治家たちはそれみろとばかりに「入居者が少なくなり、空き部屋をそのまま放置するのは税金の無駄使いである」と発言。コミューンは経費節約から、17棟のサービスハウスを普通の高齢者住宅へと改築しました。

 しかし、当のコミューンの地域では、現在サービスハウスへの入居を待機している高齢者が300人以上いるのです。こうした事実を政治家たちは、対岸の火事同様に知らぬふりで、「入居希望者が減少しているから、サービスハウスは必要ない」と自分たちに都合の良い部分のみ公表しますから、多くの市民は現実を知らないまま。そのため在宅介護を強制されている高齢者は増加し、家族負担も大きくなっています。

 介護してくれる家族がいない老人とっては、一日の楽しみとはホームヘルパーの訪問のみ。その訪問すら、経費節約の波が押し寄せています。宅配された冷えた料理を一人寂しく食べているのが現状です。そのために、老人は食事を全部食べなかったり、時には何も食べない老人も多くなり、栄養失調の老人が増加しています。あるホームヘルパーは「朝訪問すると、昨日の夕食がテーブルの上に手をつけないで残っているのも珍しくはなくなったよ」と私に話します。そうした老人は体力がなくなり、栄養不足から倒れたりして、救急車で病院に運ばれる回数が増えることになります。結果的にはコミューンの医療関係費が増加するなど、逆効果なっている例も少なくなりません。

 こうした現実に、「このままでは高齢者にとって本当に必要な介護を行なうことは不可能。必要な介護を受けられない老人たちが気の毒です」と、良心的なベテランの介護職員の退職が続きました。加えて民営化された会社が人員整理をしていたために、反対に職員不足となり、教育がなされていない多くの外国移民者を採用することになりました。1〜2週間のインスタント教育で老人介護をさせている施設も多くなりました。

 外国移民者を採用することは、失業対策としては良いことですが、老人たちの介護には必ずしも適切とは言えません。言葉や生活習慣が違うことによる、いろいろな誤解や問題が多くなり、老人や家族の苦情も増加し、高齢者が死亡してしまうような事故も多く発生するようになりました。

 社会省がこのほど発表した資料によると、10人のうち4人の介護職員は介護教育を受けていないか、または十分な教育を受けていないと指摘しています。また2015年には、約20万人の介護教育のある職員が不足となるであろうと予測しています。

 また、1992年のエーデル改革後、医療と介護は分離されたことも問題を引き起こしています。医療は国が担当し、退院後の病人や高齢者および身体障害者などの介護は、コミューンが受け持つことになりました。

 しかし、退院患者の受け入れ対策が十分にできていないコミューンもあります。病院から退院した後、本来ならば施設への入居を必要としている老人がいたとしましょう。施設の受け入れる体勢と準備が出来ていないために、老人は行くところがなく、そのまま自宅介護となります。ところが、退院した老人が自宅へ移ったという報告や必要な医薬品の情報等、病院とコミューン、さらには民営化企業との相互の連絡事務報告が必ずしもスムーズに行なわれていません。コミューンは老人が自宅に帰宅したことが知らされず、ほうっておかれることになります。そのために各地で各種の事故発生がみられ、未だに十分な改善がなされないままです。

 医療と介護の分担については、他にも問題が指摘されています。病院から退院した高齢者の簡単な治療を地域看護士(地域を担当している看護士)がするのか、または施設の看護士・准看護士の資格を持つ介護職員がするのか、権限の基準が現在も明確ではありません。

 同じように誰が面倒を見るのか明確にされていないのが、完全に治療が終わって病院から退院する高齢者のケアです。終末期を迎えている老人に対して、有意義な余生を過ごす事ができるように、最善の処置をするべきなのに、誰が何処で面倒を見るのかという人道的な問題が解決されていません。

 長期のリハビリを必要とする者に対して、医療だから県(国)が担当すべきだと言う考え方と、病院から退院したのだから、たとえ医療に関するリハビリでも、コミューンが担当すべきだという意見が別れたまま未解決です。誰にも面倒を見られないことも起こりえるのです。

 高齢者施設のみでなく、病院の経費節約も政治家たちの目標となっています。エーデル改革後、経費節約を目的として、全国で10以上の総合病院が閉鎖されています。これは同時に手術などを受ける際にも待機期間が長くなることを意味します。待機中に死亡した患者もいるなど、高福祉社会のスウェーデンは何処にあるのかと疑わざるを得ない状況になってきています。

  スウェーデンから何を学ぶか

 ここまで読まれて、それでも日本よりも恵まれているじゃないかと思われた読者の方もいるでしょう。確かに、スウェーデンには数々の問題がありますが、日本の高齢者および身体障害者福祉に比較した場合、日本はまだ多くの事をスウェーデンから学べます。

 例えば、日本の高齢者施設は、あまりにも多く分別化され、入居基準も異なります。ある施設の入居基準は、一部の市では担当職員の判断で認可されているのにも関わらず、他の市では認可されないなど矛盾が多く、市や区の担当職員ですら明確には把握していない現状です。

 日本の施設を訪問しますと、多くの介護は施設(経営者)または職員の都合に合わせた介護がなされています。要介護者のために施設があり、入居者の必要性に合わせた介護をするべきです。それは同時に施設の職員が、ゆったりしたテンポの介護と、ゆとりのある勤務が出来る状況に環境を造る事が必要であると思います。多くは経営者または管理責任者の理解不足によるものではないかと思われます。

 日本には福祉に関して各種の資格制度がありますが、それほど多くの資格制度を作る必要はないのではないでしょうか。かえって、各種の制度が縦と横の繋がりの障害となっている事もあるので、再確認する必要があると思います。また、規定が全国統一でないために、県、市、区、さらに地区単位で同じ障害でも、対応が異なるのは理解しがたいことです。

 これは細部にわたる全国規定が制定されていないことが原因と思われます。スウェーデンには、日本のような様々な資格制度はありませんが、介護やリハビリなどスムーズに実行されている点については、日本でも学んで欲しいものです。

 さらに、日本のお役所はある一定期間に人事移動がありますが、このシステムは、特に社会福祉に関しては、大きな人的資源の損失でしょう。専門知識を必要とする福祉課に勤務する者が、数年間勉強をし、ようやく福祉のシステムや地域の状況を把握した頃に、人事移動で全く新しい分野の勤務を命じられて、その職員の知識とか能力は完全に無視されております。これほど職員の有能な資源(知識と能力)の無駄遣いは理解しがたく、改善すべきだと思います。

 スウェーデンでは、日本で見られるような、そのような人的資源の無駄使いはありません。同じコミユーンで福祉課に何年も勤務し、福祉に関するベテランが業務についており、地域の実情とシステムを十分に把握しているために、日常のお役所業務はよく整備され、例えばアドバイスを受けたい市民には、的確にスムーズに情報が提供されている点は、非常に素晴らしいと思います。

 さらに、スウェーデンでは、一部の裕福な高齢者を除いて、一般的には定年になれば、高所得者も低所得者も、高齢施設に入ればその貧富の差はあまりありません。例えば家庭の主婦として長年生活し、低い年金しか受けていない高齢者は、法律で規定する最低文化生活を営める金額(2004年度、 スウェーデンクローネ<Skr> 50,856/年間=約76万円)を年金支給額から除いて確保したうえで、その残りから、施設やホームヘルパーなどの諸経費を差し引くようにします。それでも生活費が不足する場合には、住宅手当、生活費補助金、交通費等がコミューンから支給されるため、低年金だから施設に入れないとか、ホームヘルパーの介護を受けられないなどの問題はありません。

 例えばホームヘルパーの家庭介護を受ける場合の諸経費には上限制度があります。介護を受けていて、一ヶ月に経費がSkr1572(約2万3580円)を超えた場合は支払う必要がありません。つまりそれ以上の経費はコミューンが税金で負担します。このシステムは、日本も取り入れるべきだと思います。そうすれば年金の少ない高齢者でも、安心して平等の介護を受けられることになります。

 人口の少ないコミューンでは、このように上限制度の経費を計算したり、そのためにコンピュータシステムを取り入れたりすると人件費や諸経費がかかりすぎることになります。そうしたコミューンでは、介護を受けた時に支払うべき経費を無料にした方がかえって安く済むとして、全て無料にしている地域もあます。ちなみに、全国で75歳以上の高齢者で、約25%はなんらかのホームヘルパーの援助を受けていますが、そのうちの半数にあたる約50%の高齢者は低額年金のため、ホームヘルパーの諸経費は無料です。

 もちろん、人口約900万人という東京都より少ない人口をかかえるスウェーデンと、その十倍以上の人間が住む日本とでは、単純に比較することは難しいでしょう。しかし、バブル崩壊後に経済低迷している日本といえども、まだまだ一人あたりのGDPはスウェーデンより裕福な国です。やろうと思えば、できることも多いはず。単純にスウェーデンがいいとか悪いとかではなく、スウェーデンの失敗している点も成功している点も冷静に分析したうえで、良い点はとりいれていくべきだと思います。

                

   
( 2005年12月6日 「新潮45」承認、HP記載)

 

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